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NEWLOCAL社員インタビュー Vol.6 篠田善典

  • 執筆者の写真: 共有用 NEWLOCAL
    共有用 NEWLOCAL
  • 8月9日
  • 読了時間: 11分
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「地域からハッピーシナリオを共に」をミッションに掲げるまちづくりスタートアップのNEWLOCAL。そこにはどのような人たちが集まり、どんな想いで地域のハッピーシナリオを描いていくのでしょうか? 6人目のインタビューのお相手は2025年5月からNEWLOCALの役員に就任した篠田善典さん。 地元・高知で合同会社とまり木を立ち上げ、複数の宿を営む”地域プレーヤー”としての顔を持つ傍ら、2024年からはNEWLOCALにジョイン。今では役員としてNEWLOCALには欠かせない存在です。 バックパッカー時代を経て、楽天やアルファドライブ、地域コンサルティングファームといった多様なキャリアを歩んできた篠田さんに、そのキャリア選択の原動力と地域プレーヤーとしての目線から見たNEWLOCALの姿についてお伺いしました。

<篠田善典>
高知県出身。関西大学地理学科卒。楽天株式会社、AlphaDriveなどでの所属経験を持つ。2018年に地元高知でTOMARIGI HOSTELを開業。現在も四国を中心に4施設の運営を行う。得意領域は観光・宿泊施設・新規事業開発・起業分野。高知県での起業支援アドバイザー、宿泊施設の開業支援、運営、自治体に対する支援業務も行なっている。人生の原体験は“旅とバックパッカー“。
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ーー 今の業務内容を簡単にお伺いできますか? 業務内容としては、宿泊施設含め各地域の事業をアクセラレートするために、それぞれの事業責任者とコミュニケーションをとりながら、全エリアを横断的に見ています。 あとは、遼さん(代表)とファイナンスに関わる部分を一緒に検討したり、大丸さん(事業開発担当)と一緒に新規エリアの開拓をしたり、株主やいわゆるto Bの人たちとのコミュニケーションを行っていますね。

ーー  各事業責任者とのコミュニケーションというのは、具体的にどのような内容なのでしょうか? 今はNEWLOCALとしても数字を作っていく必要がある時期なので、各地域のざっくりとしていた目標を定量的に整理して、そこに対してどうアクションしているかを自分が見ている、という感じです。

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価値観が変わった日本一周の旅と、宿運営を志した海外でのバックパッカー生活

ーー 大学を卒業してからNEWLOCALに入社するまでの経歴を簡単に教えていただけますか? 大学時代は世間でいうところの普通の大学生だったので、普通に会社員や公務員をやって60歳ぐらいまで働く人生を想像していました。 ただ、大学4年生になって、時間もできたので、日本一周をしてみたんです。 すると、当たり前のことではあるんですけど、世の中にはすごくいろんな生き方をしている人がいるんだなってことに気づいて。 そこで、自分の生き方はこのままでいいのかな、という疑問を持つようにもなりましたが、内定先が外資系の大手だったこともあり、とりあえずは社会人になってみようと。 実際入社してみると、とてもいい会社だったんですが、このままでいいのだろうかという想いは拭いきれませんでした。 そこで、人生一回きりだしと思ってスパッと辞めて、今度は海外で半年くらいバックパッカーをしてみたんです。

バックパッカー中に訪れたウルル(エアーズロック)付近にて
バックパッカー中に訪れたウルル(エアーズロック)付近にて

当時の日本ではまだ珍しい場所でしたが、バックパッカー中はよくゲストハウスに泊まっていました。 そうすると、そこに集まるいろんな人と話すことで、自分自身がブラッシュアップされていく感覚がだんだんとあったんです。気づけば、人生がポジティブに変わってきているように思えて それで、 「ああ、自分はこれをやればいいのか」と思ったんですよね。 バックパッカーをしながら、「次は自分で宿をやろう」と決めました。 とはいえ、当時は宿に対する経験もスキルも資格もなかったので、帰国後1年半ほどは那須のペンションで雇われオーナーとして経験を積みました。 その後、高知に戻って宿をやろうと思ったのですが、資金が全然なくて。 どうしようかと考えていた時に、たまたま高知で働ける楽天の求人を見つけて応募したんです。

楽天では宿泊施設向けのネット販売に対するコンサルタントを主にしていましたが、その中でも「やはり自分はゲストハウスをやりたいんだ」と気持ちが固まり、とまり木を立ち上げるに至りました。 というのも、大学時代の原体験を経て、人と人が繋がる宿を作りたかったというのもありますが、自分自身が若い頃にそういう場で、“いい意味で訳分からない大人たち”と出会えていたら、自分のキャリアや生き方ももっと自由だったんじゃないかな、という想いがあったんですよね。 でも、当時の高知にはそういう場所がほぼなかった。 だから自分が作ろうと思いました。

篠田さんが立ち上げたTOMARIGI HOSTEL
篠田さんが立ち上げたTOMARIGI HOSTEL

絶望的だったコロナ禍の宿運営、訪れる転期

ただ、自分の人生で一番辛かったことも同時に経験しました。 コロナが来てしまって、宿の経営がそもそも成り立たないし、自分の給料はもちろんない状態があったんですよね。 2020年3月に2店舗目の宿をオープンしてどんと借入を起こしたので、返済が始まるタイミングで東京がロックダウン状態になってしまって。 夜も寝られないし、あれはさすがに堪えました。 ただ、そんな絶望的な状況の時に、アルファドライブが高知に子会社を立ち上げるということで、以前から仲良くしてた方に声をかけていただき、ジョインすることになりました。 人生の中では一番辛い時期ではありましたけど、結果としてはここでコンサルや新規事業開発などのスキルセットが身についたと思っています。 その後は、高知のコンサル会社で取締役を務めることになり、自治体向けの経営戦略を立てたり、スモールビジネスをしている人たちに対して経営支援をしたりと、より地域に深くコミットするようになっていきました。 ただ一方で、地域に対して真正面から向き合いすぎるとどうしても対処療法的な部分が多くて、根本的な課題解決にはなかなかつながりにくいなとも感じていて。 積み重ねることで何かがおきる気もしつつ、今の自分が本当にやりたいこととはちょっと違う気がしたので、その会社を離れることにしました。

その後NEWLOCALに繋がっていく、という感じです。

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やりたいことに向けて走っていた、気づけば地域プレーヤーに

ーー ありがとうございます。では、”地域プレーヤー”の肩書きが付くお仕事を始めたのは、とまり木を設立してから、ということしょうか? そうですね。 でも、自分の場合は、最初から「地域のために何かしよう」といった意識はあんまりなくて。 とにかく「宿をやりたい」という想いが先にあったんですよね。 一店舗目に選んだ場所は、正直言って高知の中ではけっこう寂れた商店街だったんです。 でも、そこで宿を始めたら、だんだん周りにも面白いお店ができ始めて。 そこから、“この商店街のために”みたいなことも意識するようになったのですが、ある日商店街の理事長から、「あなたがやりたいことをやって売上をあげていけば、それは地域にお金が落ちているということなのだから、別に商店街のためとか意識しなくていいんじゃないの」と言われ、「確かにそうかも」と思って。 なので、自分としてはやりたいことをやっていただけなんですけど、結果的には地域のためになっていた、という感じですかね。

ーー とまり木が最近オープンしたmimoroという一棟貸しのお宿は、開業までのストーリーが大変だったと拝見しましたが、詳しいお話をお伺いできますか? これは本当に、今から宿を始めようなんて誰も思わないような場所にあるんですよ。集落にあって、急傾斜地で、耕作放棄地。 ロジックで考えたらやらないところなんですよね。

耕作放棄地だった当時の建設地
耕作放棄地だった当時の建設地

でも、自分の中の経験と感覚で、「ここはできる気がする」という直感が働いたんです。 とはいえ、資金が全然なくて。 資金調達に時間がかかっている間にも、「他にもこの土地に目をつけてる人がいるから、手付金で200万入れてほしい」と言われて。 正直、捨てる200万になるかもしれない、という気持ちもありつつも、覚悟を決めて手付金を入れました。

その後、なんとか建物は建ちましたが、やはり場所がすごいので想像以上にお金がかかってしまったんですよね。 しかもタイミングが悪くて建築費も上がってしまい、結果的に建物はできたのに、お金が足りなくて道が作れなかったんですよ。 急傾斜地に宿が3カ所見えているのに、そこにアクセスする道がまったくない、という状態で(笑)。

それで「もう自分たちでやるしかないな」と思い、1ヶ月くらい集落にある宿に泊まり込みしながら、自分たちで階段を作ったんです。 そんなハードシングスを経て、ようやく開業しました。

篠田さん達自らの手で階段を作っている様子
篠田さん達自らの手で階段を作っている様子
開業後のmimoro
開業後のmimoro

一度は断った内定、よくある会社だと思っていた

ーー NEWLOCALへの入社は大丸さんからの推薦がきっかけとのことですが、内定をもらったあとに、一度辞退されたとお伺いしました。 そうですね(笑)。 理由は2つあって、1つはシンプルにゆっくりしたいなと。 2つ目に関しては、実は前からNEWLOCALのことを知っていたので、その時の印象に引っ張られていた感じがありました。

たしか、遼さんがnoteで、「野沢温泉で資金調達しました」と言っているのを見たのが最初だったと思うんですけど、正直その時は、”補助金を使って地域で施設作って盛り上げようとする、よくあるパターンか”って。 もちろん、今はそんなふうに思ってないですし、実際には全然違ったんですけど、当時はそこだけを切り取って見た時に、NEWLOCALに入るのは違うかなと思っていました。 それで一度内定を断ったんですけど、わりとすぐに大丸さんから電話がかかってきて、説得をされて(笑)。 それで改めて遼さんとも話して、NEWLOCALのことをもっと知りたいなという気持ちも込めて関わり始めた、という感じですね。

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ーー 結果的には入って良かったと思いますか? もちろん。 そうでなかったら役員は引き受けないですからね。


NEWLOCALがいれば踏める、地域事業のアクセル

ーー NEWLOCALは地域リーダーと組むビジネスモデルを展開していますが、ご自身も地域のプレイヤーである篠田さんから見て、NEWLOCALにどんな印象を抱きましたか? 正直に言うと、最初はどうなるのかあまり見えていなかったです。当時はまだ結果も出る前でしたしね。 でも、最近改めて思うのは、うちの会社まあまあぶっ飛んでるなって(笑)。

地域に人もお金も結構送り込んで、かなり先行投資してますけど、普通の思考だったらこんなことやらないし、やれない。 瞬間的に経済合理性を超えてるんですよね。

でも、自分が逆の立場だったらすごく嬉しいんですよ。 これは自分が高知で達成できなかったと感じていることの一つでもあって、自分の場合はアクセルが踏めなかった。

でも、NEWLOCALがいたら踏めると思います。

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ーー “アクセルを踏む”、というのは、やりたいことがあるけどリソースが不足していたり、心理的に不安を抱くところを乗り越えて加速させる、みたいなイメージでしょうか? そうですね。 ちょっとNEWLOCALの会社説明みたいになってしまいますけど、加速させるポイントとしては3つあって、“人とお金とナレッジ”の部分ですよね。

やはり地域には人が足りないし、お金の調達方法も全然違います。 そこに対してNEWLOCALは、人とお金に対して覚悟を持って送りこんでいく。 ナレッジに関しては、なくてもできるんですけど、あればやはり事業が加速するスピードは速いわけです。

丹後のローカルフラッグも男鹿の稲とアガベも、宿の経験はないけど、まちづくりに宿が必要なことはみんな理解しているわけじゃないですか。 そういうプレーヤーがゼロから宿をやるとなると結構な時間がかかると思うんですけど、NEWLOCALには宿の経験が豊富なメンバーがいるので、そこのノウハウもスピード感も提供できますよね。


自分の手で創る、地域のハッピーシナリオ

ーー 今後の将来的な目標はありますか? 高知に対して何かしら還元したいという気持ちはやはりあります。 NEWLOCALで得たことは、とまり木にも跳ね返せているので、菜園場(※とまり木のあるエリア)を中心に人が沢山集まって、不動産もあって、そのエリアがにぎやかになる、みたいなことはできたらいいなとは思っていますね。

それともう一つは、NEWLOCALの掲げている「地域からハッピーシナリオを共に」を、自分自身もできたら良いなと。 地域にいる人たちの中には、「このままだと地方が大変なことになる」と強く危機感を持っている人もいれば、そうではない人もいて。そこはすごく二極化しているんですよね。 それ自体は悪いことではないと思うんですけど、その地域の人が少しでも「地方も悪くないな」とか、「地方にも未来がある」と思えることは、すごく大事なことだと思っていて。 なので、地域の人がそう思えるような活動をしていけたらと思っています。

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NEWLOCALの事業を加速させるために必要な人材とは

ーー 今のNEWLOCALにこういう人がいればもっと事業が加速させられると思うのはどんな人ですか? ポジションにも依りますが、“事業が加速”という側面で言えば、何かを達成している人はすごく欲しいと思います。 それはどういうことかと言うと、今のNEWLOCALは資金調達はできても、自信を持って売り上げを立てられるというところまではまだ成し遂げれていないんですよね。 正直、まだまだこれからだなと感じています。 だからこそ、何かを一回でも達成している人はそれを一緒にできる可能性がありますよね。

さらに言うなら、その達成を定量的にもちゃんと説明できる人を求めていると思います。 そういう人がどのポジションにもいたら、NEWLOCALの事業はものすごく加速すると思っています。

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